2006年11月22日
裁判員制度から思い出す著書『逆転』

平成16年5月21日「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が成立し
公布の日(平成16年5月28日)から5年以内に裁判員制度が実施される予定らしい.......
裁判員制度とは,国民が裁判員として刑事裁判に参加してもらい、被告人が有罪かどうか、有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めてもらう制度だそうな.......
真っ先に思い出すのが、アメリカの陪審員制度

世間では、この制度の良し悪しが議論されているようだが........詳しい事は良く知らない!
しかし、陪審員にも似たこの制度から、幼き頃見たあの著書を思い出す!
その名は伊佐千尋著
『逆転』
その内容はノンフィクションであり、この沖縄が、占領された歴史を色濃く浮き立たせたこの事件は、確か小学生だった私には、著書名「逆転」と著者「伊佐千尋」が今でもすぐ思い出せるくらい、強烈な思い出.........いや衝撃として残った。
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1964年8月に沖縄(当時はアメリカ占領下)で、日本人4人とアメリカ兵2人の間で喧嘩が起こり
アメリカ兵1人が死亡、1人がけがをした。
日本人4人は逮捕され、軍法会議にかけられた。(のちに『逆転』を執筆する)伊佐を含め、様々な国籍の陪審員12人が選任された(うち1人は病気になったため、評議を行ったのは11人)。
伊佐はアメリカ兵の挑発がそもそもの原因であることや検察の主張する凶器に疑問があることから、粘り強く無罪を主張し、結局傷害致死罪は無罪、傷害罪は有罪という評決に至った。
しかし、同年11月に下った判決は伊佐の予想以上に重く、3人(Aを含む)が実刑、1人が執行猶予付きというものであった。(この事件・裁判は沖縄でのみ報道されたようである)
そこから展開は、松の記憶に刻まれた著書「逆転」が世に出る動きが始まる..............
伊佐は被告らの無罪を確信し、その名誉回復を図るため、アメリカ占領下の沖縄、陪審制度などの問題を含めてノンフィクションを執筆し、事件から13年経った1977年、新潮社から『逆転』を刊行した。
出版当時、既に刑期を終えていた被告4人のうち、1名は死亡し、Aの所在は不明であったが、伊佐は残り2名から実名表記の了承を得ていた。
1978年、NHKは『逆転』を元にしたドラマを放送しようと企画した......松はこの放送を見て衝撃を受ける。
原告Aを探し出して取材を行い、実名を用いて放送する旨を伝えた.............
Aは服役後、沖縄を離れ、東京で運転手として働き、結婚もしていたが、勤務先や妻には前科のことを隠していた。
放送によって解雇や離婚という事態になるのをおそれたAは、NHKに放送禁止を求める仮処分を申請し、結局、仮名で放送することにより和解した。
その後、何故かプライバシー侵害による精神的苦痛をこうむったとして、『逆転』の著者に対し、慰謝料の支払いを求める民事訴訟を起こす結果となる。
その後、勤務先の社長や妻には、前科の件について理解を得られ、Aがおそれていた事態は避けられた。
なお、現在刊行されている『逆転』(岩波現代文庫)は仮名表記になっている。
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その後、ドラマで衝撃を得た松は、父が所有する著書『逆転』を読みふけった記憶がある。
この事件、内容はそうたいして珍しいものではない.................
当時そんな事件はいくつかあったであろう(詳しい事は知りません)
裁判の判決と、陪審員が被告に対する殺意を大きく左右する焦点となったのは、被告が事件を起す前に、食堂から出てゆく時に吐き捨てた言葉
沖縄の方言である
と解釈され、陪審員の話し合いは大きく「殺意」へと傾いてゆき、陪審員の一人である伊佐の思惑と逆へと流れ始めるが、最後に伊佐の巧みな説得力と、熱意で無罪へと他の陪審員の心が変わる逆転劇のノンフィクションである。
しかし、結果的には有罪になり、伊佐のこの著書が世に出るキッカケを作ったのも皮肉な話である。
松がその著書とドラマを見て、幼いながらも当時受けた衝撃
はいくつかある
「裁判に一般市民が参加し、判決に大きく影響を与えられる」と言うことは、有罪が無罪、無罪が有罪にもなりかねない..................一般人からすると聖域にも感じられる裁判を一般人の手により左右されてしまう。
「絶対的な裁判(と子供心に思っていた)が同じ人間が使う方言により、解釈が違って、人の人生をも変える有罪無罪を左右させてしまう」..........子供の松は、そんな解釈より、裁判は真実を見極められるものだと思ってた。
今回の事は、決して「裁判員制度」をどうこう言うものではありませんので、誤解のないようにお願いします。
素直に、この制度から、当時の事を思い出した内容と、当時感じた事を書き綴ってみました。
今、西欧化する日本と、沖縄の文化である方言と、沖縄の歴史に大きく刻まれた占領時代の事件が、大きく交錯した、いわゆる松(の心の中の)事件として、読んで頂きたいと思います.................ふぅ~長かった(疲労)
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1964年8月に沖縄(当時はアメリカ占領下)で、日本人4人とアメリカ兵2人の間で喧嘩が起こり
アメリカ兵1人が死亡、1人がけがをした。
日本人4人は逮捕され、軍法会議にかけられた。(のちに『逆転』を執筆する)伊佐を含め、様々な国籍の陪審員12人が選任された(うち1人は病気になったため、評議を行ったのは11人)。
伊佐はアメリカ兵の挑発がそもそもの原因であることや検察の主張する凶器に疑問があることから、粘り強く無罪を主張し、結局傷害致死罪は無罪、傷害罪は有罪という評決に至った。
しかし、同年11月に下った判決は伊佐の予想以上に重く、3人(Aを含む)が実刑、1人が執行猶予付きというものであった。(この事件・裁判は沖縄でのみ報道されたようである)
そこから展開は、松の記憶に刻まれた著書「逆転」が世に出る動きが始まる..............
伊佐は被告らの無罪を確信し、その名誉回復を図るため、アメリカ占領下の沖縄、陪審制度などの問題を含めてノンフィクションを執筆し、事件から13年経った1977年、新潮社から『逆転』を刊行した。
出版当時、既に刑期を終えていた被告4人のうち、1名は死亡し、Aの所在は不明であったが、伊佐は残り2名から実名表記の了承を得ていた。
1978年、NHKは『逆転』を元にしたドラマを放送しようと企画した......松はこの放送を見て衝撃を受ける。
原告Aを探し出して取材を行い、実名を用いて放送する旨を伝えた.............
Aは服役後、沖縄を離れ、東京で運転手として働き、結婚もしていたが、勤務先や妻には前科のことを隠していた。
放送によって解雇や離婚という事態になるのをおそれたAは、NHKに放送禁止を求める仮処分を申請し、結局、仮名で放送することにより和解した。
その後、何故かプライバシー侵害による精神的苦痛をこうむったとして、『逆転』の著者に対し、慰謝料の支払いを求める民事訴訟を起こす結果となる。
その後、勤務先の社長や妻には、前科の件について理解を得られ、Aがおそれていた事態は避けられた。
なお、現在刊行されている『逆転』(岩波現代文庫)は仮名表記になっている。
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その後、ドラマで衝撃を得た松は、父が所有する著書『逆転』を読みふけった記憶がある。
この事件、内容はそうたいして珍しいものではない.................
当時そんな事件はいくつかあったであろう(詳しい事は知りません)
裁判の判決と、陪審員が被告に対する殺意を大きく左右する焦点となったのは、被告が事件を起す前に、食堂から出てゆく時に吐き捨てた言葉
沖縄の方言である
『くるす』
『死なす』
なのである。
くるす
殺す!
死なす
死に至らしめる!
『死なす』
なのである。
くるす
殺す!死なす
死に至らしめる!と解釈され、陪審員の話し合いは大きく「殺意」へと傾いてゆき、陪審員の一人である伊佐の思惑と逆へと流れ始めるが、最後に伊佐の巧みな説得力と、熱意で無罪へと他の陪審員の心が変わる逆転劇のノンフィクションである。
しかし、結果的には有罪になり、伊佐のこの著書が世に出るキッカケを作ったのも皮肉な話である。
松がその著書とドラマを見て、幼いながらも当時受けた衝撃
はいくつかある「裁判に一般市民が参加し、判決に大きく影響を与えられる」と言うことは、有罪が無罪、無罪が有罪にもなりかねない..................一般人からすると聖域にも感じられる裁判を一般人の手により左右されてしまう。
「絶対的な裁判(と子供心に思っていた)が同じ人間が使う方言により、解釈が違って、人の人生をも変える有罪無罪を左右させてしまう」..........子供の松は、そんな解釈より、裁判は真実を見極められるものだと思ってた。
今回の事は、決して「裁判員制度」をどうこう言うものではありませんので、誤解のないようにお願いします。
素直に、この制度から、当時の事を思い出した内容と、当時感じた事を書き綴ってみました。
今、西欧化する日本と、沖縄の文化である方言と、沖縄の歴史に大きく刻まれた占領時代の事件が、大きく交錯した、いわゆる松(の心の中の)事件として、読んで頂きたいと思います.................ふぅ~長かった(疲労)
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